抗がん剤「オプジーボ」の副作用

がんで苦しむ仲間の皆様へ

私は2015年1月に肝臓がんが発覚しました。残念な事に肺やリンパ節にも転移があり、診断はステージ4の末期がん。
肝臓は6割近くがんに侵され手術は不可能と言われ、余命半年と診断されました。
それ以来、私は妻と共に様々な事にチャレンジし、脱抗がん剤治療に挑み、今に至ります。
がんは完全に無くなってはいません。しかし今ではかなり小さくなっています。
今に至るまでの記録や、現在の状況を診断書やCT画像等を交え、わかる形で公表していきたいと思っています。
末期がんでしたが、今では食事制限もありません。アイスクリームやチョコレートなど、食べたい物も食べれています。
ご面倒でしょうが、最初から最後まで読んでいただければ、きっとがんで苦しむ仲間の役に立てると思ってブログを立ち上げました。
癌で苦しむ仲間の皆様、諦めないで下さい。一緒にがんを克服しましょう。

 

 

2015年2月下旬、私は新薬「オプジーボ」の副作用により「肝炎」を発症し、
地元の赤十字病院に入院する事になりました。

国立がんセンターのN先生から「オプジーボ」の副作用の可能性については
予め説明を受けていたとはいえ、死ぬほど痛い思いをしました。

赤十字病院の先生には、事情を説明し、国立がんセンターに連絡を取ってもらい、
私の診断データ等を送ってもらい、動ける様になるまで
この病院でお世話になる事になりました。

とはいえ、この赤十字病院には私を診れる専門医がおらず、
当面の間は、末期がん患者として緩和病棟扱いで個室に移りました。

この「肝炎」から始まり、ありとあらゆる副作用が私の体を襲ってきました。
全身の倦怠感、味覚障害、怒涛の吐き気、全身の発疹と痒み、食欲は失せ、日に日に痩せていきました。
出される食事はのどを通らず、毎日点滴だけで栄養を取っていました。
唯一食べたいと思えたものは、リンゴやイチゴなどのフルーツだけでした。

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妻は、必死にがんに効くとされるものを調べてくれて
漢方薬やらプロポリスなど色々差し入れしてくれましたが、
何一つのどを通らず、痩せていくばかり。。。。
70キロあった体重は50キロ台まで下がりました。

会社の話になりますが、私の会社は12月決算なので、2月末が申告期日です。
経理責任者の私は決算が心配で、病室で決算資料に目を通し、
何とか自分でやれないかを模索していました。部下だけでは決算は出来ません。
時には無理やり上司に頼み込んで、病院まで迎えにきてもらい、外出し、会社のPCに向かいました。
たとえ僅かでも決算を進めたかったのです。
しかし、机に座ったものの、怒涛の吐き気と倦怠感で、
うずくまったまま何も出来ずに、また上司に病院まで送ってもらう。
そんな日々を送りました。

結局、決算は間に合わず、期日を過ぎてのペナルティ申告となってしまいました。
もう、詳しい病状を会社にも隠しておけず、しばらく休職する事になりました。

副作用の可能性はあるが、そんなに強くない。
聞いていた話と違いすぎる。
オプジーボ」の小冊子に書いてあった副作用の全てに襲われました。
頼みの新薬「オプジーボ」は、私にとっては最悪の薬でした。

 

私にとって最悪の新薬「オプジーボ」の投薬

がんで苦しむ仲間の皆様へ

私は2015年1月に肝臓がんが発覚しました。残念な事に肺やリンパ節にも転移があり、診断はステージ4の末期がん。
肝臓は6割近くがんに侵され手術は不可能と言われ、余命半年と診断されました。
それ以来、私は妻と共に様々な事にチャレンジし、脱抗がん剤治療に挑み、今に至ります。
がんは完全に無くなってはいません。しかし今ではかなり小さくなっています。
今に至るまでの記録や、現在の状況を診断書やCT画像等を交え、わかる形で公表していきたいと思っています。
ご面倒でしょうが、最初から最後まで読んでいただければ、きっとがんで苦しむ仲間の役に立てると思ってブログを立ち上げました。
癌で苦しむ仲間の皆様、諦めないで下さい。一緒にがんを克服しましょう。

2015年2月10日
末期がんと診断された私は、
東京築地にある国立がん研究センターで、
昨年厚生省に認可され、メラノーマに有効とされる
新薬「オプジーボ」を投与する日がやってきました。

肝臓の生検以来、約1週間入院していた私は、この「オプジーボ」の投薬を受け、
翌日に退院するスケジュールになっていました。

2月10日の朝、看護師さんから投薬の説明を受け、
午後に第1回目の「オプジーボ」の投薬開始。
普通の点滴と変わらない感じで、1時間ほどで無事に投薬が終了。

投薬直後、体の変化は特にありませんでした。
次回の投薬は3週間後。

翌日に支払いを済ませ、無事退院し、帰路につきました。

支払額は11万円。明細と下の名前だけお見せ致します。

 

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余談になりますが、名字を隠したカードは、
私が大好きな浜田省吾のファンクラブの会員カード。

 

今後、診断書等はこの様な形で公表していきます。

2015年2月12日
約1週間ぶりに会社へ出勤し、病名ががんである事と
今後の治療スケジュールを会社の社長へ報告し、
3週間毎の有給の承諾を頂きました。

但し、末期がんである事は言えませんでした。
言えなかったと言うより言いたくありませんでした。。

今後自分の病状がどうなっていくのかが、
自分でも想像がつかなかったし、
従業員約100人の小さな会社でしたが、
組織図上、ナンバー2の職位を維持したかったのかも知れません。

末期がんなんだから、必ず近い将来退職する事になる。
それはわかっていたはずでした。

本当に会社を思うのであれば、自分が元気なうちに、
自分の代わりの人材を探してもらう選択をするべきでしたが、
ちっぽけなプライドが邪魔をして、どうしてもできませんでした。

そして、実はまだ、自分が末期がんである事を
消化できずにいる自分もそこにはいました。

しかし
そのちっぽけなプライドも
すぐに崩れ去る事になりました。

退院から数日は何事もなく過ごせていましたが、
一週間後
ちょうど休みの日に、腹部と背中がひどく痛み出したのです。

時間が経つにつれ、痛みはどんどん増していき、
しまいには、一人では歩けないくらいになってしまい、
家族の運転する車で地元の赤十字病院へ運ばれました。

病院に着き、ストレッチャーに乗せられた時には、
もう死ぬほどの痛みで、1mm体を動かすだけで激痛が走り、
ストレッチャーからCTの検査台には激痛で中々乗ることが出来ませんでした。
七転八倒しながら、何とかCT検査を受け、
診断の結果は「肝炎」でした。
新薬「オプジーボ」の
副作用でした。

そして、ここから約1か月半、
地元の赤十字病院に入院する事になったのです。

 

オプジーボ投与を前にして

がんで苦しむ仲間の皆様へ

私は2015年1月に肝臓がんが発覚しました。残念な事に肺やリンパ節にも転移があり、診断はステージ4の末期がん。
肝臓は6割近くがんに侵され手術は不可能と言われ、余命半年と診断されました。
それ以来、私は妻と共に様々な事にチャレンジし、脱抗がん剤治療に挑み、今に至ります。
がんは完全に無くなってはいません。しかし今ではかなり小さくなっています。
今に至るまでの記録や、現在の状況を診断書やCT画像等を交え、わかる形で公表していきたいと思っています。
末期がんでしたが、今では食事制限もありません。アイスクリームやチョコレートなど、食べたい物も食べれています。
ご面倒でしょうが、最初から最後まで読んでいただければ、きっとがんで苦しむ仲間の役に立てると思ってブログを立ち上げました。
癌で苦しむ仲間の皆様、諦めないで下さい。一緒にがんを克服しましょう。

 

 


2015年2月初旬
肝臓部分の生検を終え、私は1回目のオプジーボの投薬の日まで入院する事になっていました。
オプジーボの治療は投薬治療で入院の必要はなく、来院して点滴の要領で投薬したらその日に家に帰れます。
そして3週間後にまた来院し投薬し、それを繰り返すサイクルで治療していくスケジュールでした。

 

治療代に関しては前回でもお話しましたが、1回の投与で検査代、薬、そして抗がん剤、合計約10万円掛かります。
つまり3週間ごとに10万円の治療費が掛かる訳です。


私の場合は延命治療なので、死ぬまで延々掛かる事になります。正直結構な負担です。

2015年2月10日の第1回目のオプジーボの投薬を前にして、N先生から事前説明がありました。
オプジーボ投与後の副作用等の説明です。
1.肝機能障害
2.肝炎
3.発熱
4.甲状腺障害 などなど
人によっては1~4などの症状が出る場合もあるそうです。

N先生から「何か質問はありますか?」と聞かれ、いくつか質問しました。


抗がん剤ですから、やはり髪の毛は抜けるのでしょうか?私は接客業なので見た目は気になります」


N先生 「その様な事例は今の所ありません」


「とりあえず髪の毛は抜けないんだ?良かった。」
これが正直な感想でした。

甲状腺障害とはどの様な障害でしょうか?」


N先生「疲れやすいなどの症状です」 

「私の場合、末期な訳ですが、動けなくなるのはいつ頃でしょうか?」
N先生「経過を見ながらですから、現状では何とも言えません」

 

こういったやり取りで、約20分ほど、別室で先生からの説明を聞きました。
オプジーボと言う新薬はそれほど副作用は強くなく、働きながら治療できる。
そんな印象を受けました。

働きながら。。。。。そうは言っても

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私の場合は末期がん。。。。。この治療を続けながらの未来が全く想像できませんでした。

そして、N先生から受けた今日の説明が、ことごとく裏目に出る事を、この時まだ私は知りませんでした。

 

経皮的肝生検 メラノーマを確かめる

がんで苦しむ仲間の皆様へ

私は2015年1月に肝臓がんが発覚しました。残念な事に肺やリンパ節にも転移があり、診断はステージ4の末期がん。
肝臓は6割近くがんに侵され手術は不可能と言われ、余命半年と診断されました。
それ以来、私は妻と共に様々な事にチャレンジし、脱抗がん剤治療に挑み、今に至ります。
がんは完全に無くなってはいません。しかし今ではかなり小さくなっています。
今に至るまでの記録や、現在の状況を診断書やCT画像等を交え、わかる形で公表していきたいと思っています。
ご面倒でしょうが、最初から最後まで読んでいただければ、きっとがんで苦しむ仲間の役に立てると思ってブログを立ち上げました。
癌で苦しむ仲間の皆様、諦めないで下さい。一緒にがんを克服しましょう。

 

 

2015年2月 
入院手続きを済ませ、私は国立がんセンターに入院しました。


皮膚腫瘍科のN先生に当面のスケジュールを説明されました。

 

PET検査により、肝臓、リンパ節、肺にがんが確認されましたが、
そのがんがどういう種類のがんなのかを確認しなくてはなりません。
10年前にかかったのは悪性黒色腫(メラノーマ)でしたが、
今回も同じメラノーマなのかを確認しなくては

抗がん剤を決められないと言う事でした。

私の場合、多臓器にがんが転移している末期がんなので手術はできません。

 

出来る治療は限られ、治療と言っても根治を目指すのではなく、
あくまで延命の治療でした。

 

提案された治療は二つ。

一つは足の根元の血管から直接肝臓に抗がん剤を流し込む方法。

もう一つは昨年厚生省に認可が下りたばかりの
オプジーボ」というメラノーマに効力があるとされる全身に流す新しい抗がん剤

N先生はメラノーマだった場合、まずはこの「オプジーボ」を試しましょうと提案してきました。

 

しかしこの「オプジーボ」、新薬だけあってものすごい高額です。
一回の投与で約70万円。


健康保険限度額適用認定を申請すれば、


国から援助があり個人負担は10万円を超える事は無いようですが、それにしても高額です。

 

しかし、選択肢が無かった私は「わかりました」と答えるしかありませんでした。

2015年2月上旬

がんを特定するための生検を受ける日がやってきました。

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移動用ベッドに移され、手術室に。

ベッドに寝かされたまま説明を受けました。

 

部分麻酔をして、針を肝臓に差し込み、がん細胞を採取します。
時間にして20分くらいです。という説明でした。

 

手術が始まりました。
「麻酔をしますね。採取の器具を挿入しますね。
少しだけ痛いかもしれませんが、すぐ終わりますので我慢してくださいね」

 

少しだけ??
少しだけどころでは ありません。
かなりの痛み!

 

針をお腹の奥に差し込まれ、
すぐ終わるのかと思いきや何度か奥まで差し込まれ


また 痛い!! イッテ!!


「もう一度刺しますね。もうすぐ終わりますよ。」


しかしなかなか終わらない。


大人なので何とか我慢しましたが、いやかなりの痛さ。
内臓に針を刺すんですからね。
不安を和らげるために言ってくれたのだと 思いますが
病院でいう 全然少しじゃない。 (涙)

何だかんだで20分近くかかりました。


「終わりましたよ。お疲れ様でした」


緊張と痛さで その日は体ががちがちに固まっておりました。

そして
数日後、検査結果が出て、N先生に呼ばれました。

 

「検査結果ですが、やはりメラノーマでした」

 

やっぱり そうだよなぁ。。。。
10年間
全く 検査を受けることなくきてしまいました。

はじめの治療から数年は受けていましたが 異常なし と
いうことにすっかり安心をして ほったらかしにしていた身体。
だったのです。

 


いまさら 後悔してもはじまらない。
しかし ここからは妻のためにも一日でも長く生きられるよう
頑張るしかないのだ。


こうして私は新薬「オプジーボ」の治療を受ける事になったのです。

 

突然切られた命の期限

***** ブログを始めるにあたって ******

がんで苦しむ仲間の皆様へ

私は2015年1月に肝臓がんが発覚しました。残念な事に肺やリンパ節にも転移があり、診断はステージ4の末期がん。
肝臓は6割近くがんに侵され手術は不可能と言われ、余命半年と診断されました。
それ以来、私は妻と共に様々な事にチャレンジし、脱抗がん剤治療に挑み、今に至ります。
がんは完全に無くなってはいません。しかし今ではかなり小さくなっています。
今に至るまでの記録や、現在の状況を診断書やCT画像等を交え、わかる形で公表していきたいと思っています。
ご面倒でしょうが、最初から最後まで読んでいただければ、きっとがんで苦しむ仲間の役に立てると思ってブログを立ち上げました。
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2015年1月下旬
右わき腹付近に不快な違和感を感じた私は、地元の大学付属病院で診察を受けました。
血液検査とCT検査。午前中に受付をしたのに、病院を出たのは確か夕方でした。
当時の私は働き盛りの48歳。
某ゴルフ場で経理の責任者。会社の組織図では支配人の次の職位で、バリバリに働いていました。
この時は、まさか こんな大事になるとは思ってもいませんでした。

担当した先生から「肝臓に腫瘍があります。
紹介状を書きますので国立がん研究センターへ早急に受診して下さい」。
病院を出た私は妻に電話を掛けました。
妻とは再婚で結婚したばかり。
なんて言おう。
きっと心配してる。

でもいい言葉が出てきませんでした。


「なんか、ヤバイかも。  がんみたい」。


肝臓に腫瘍があると言う事以外詳しいことは何も聞かされず、
紹介状を持って東京、築地にある国立がんセンターに行く事になりました。

実は私はここを訪れるのは2度目でした。

一度目は約10年前に左目の眼球をがんで失いました。

その時は10万人に一人のがんと言う事でした。

 

またここに来るとは。。。。

 

10年前の左目のがんは悪性黒色腫(メラノーマ)でした。

今度も同じなら転移と言う事になります。

2015年2月上旬に妻と共に国立がんセンターを訪れ、血液検査やCT検査、PET検査を受けました。
検査結果が出て、診察室に呼ばれました。

担当医から「肝臓とリンパ節、肺ににも転移があります。
肝臓は広範囲に及んでいて手術は出来ません。

残念ですが、ステージは4です。いわゆる末期がんです。

治療は薬物療法になり、残念ながら根治は厳しい状況です」。

妻は隣で泣いていましたが、

私は他人事の様に聞いていました。

 

「そうですか。 。  余命はどれくらいですか?」

 

「残念ですが、半年から、長くても1年半です」

 

「わかりました」

 

「もう少し詳しい検査をしたいので、早急に入院の予定を組んでください」

 

「はい。わかりました」

 

私は突然、命の期限を切られました。

でもなんか他人事の様に聞こえていて、ショックを感じていませんでした。

理由はわかりません。

とにかく明確に精神的ショックは受けていませんでした。
(受けていないはずでした)

そして、この日から大変な闘病生活が始まりました。

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