私にとって最悪の新薬「オプジーボ」の投薬

がんで苦しむ仲間の皆様へ

私は2015年1月に肝臓がんが発覚しました。残念な事に肺やリンパ節にも転移があり、診断はステージ4の末期がん。
肝臓は6割近くがんに侵され手術は不可能と言われ、余命半年と診断されました。
それ以来、私は妻と共に様々な事にチャレンジし、脱抗がん剤治療に挑み、今に至ります。
がんは完全に無くなってはいません。しかし今ではかなり小さくなっています。
今に至るまでの記録や、現在の状況を診断書やCT画像等を交え、わかる形で公表していきたいと思っています。
ご面倒でしょうが、最初から最後まで読んでいただければ、きっとがんで苦しむ仲間の役に立てると思ってブログを立ち上げました。
癌で苦しむ仲間の皆様、諦めないで下さい。一緒にがんを克服しましょう。

2015年2月10日
末期がんと診断された私は、
東京築地にある国立がん研究センターで、
昨年厚生省に認可され、メラノーマに有効とされる
新薬「オプジーボ」を投与する日がやってきました。

肝臓の生検以来、約1週間入院していた私は、この「オプジーボ」の投薬を受け、
翌日に退院するスケジュールになっていました。

2月10日の朝、看護師さんから投薬の説明を受け、
午後に第1回目の「オプジーボ」の投薬開始。
普通の点滴と変わらない感じで、1時間ほどで無事に投薬が終了。

投薬直後、体の変化は特にありませんでした。
次回の投薬は3週間後。

翌日に支払いを済ませ、無事退院し、帰路につきました。

支払額は11万円。明細と下の名前だけお見せ致します。

 

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余談になりますが、名字を隠したカードは、
私が大好きな浜田省吾のファンクラブの会員カード。

 

今後、診断書等はこの様な形で公表していきます。

2015年2月12日
約1週間ぶりに会社へ出勤し、病名ががんである事と
今後の治療スケジュールを会社の社長へ報告し、
3週間毎の有給の承諾を頂きました。

但し、末期がんである事は言えませんでした。
言えなかったと言うより言いたくありませんでした。。

今後自分の病状がどうなっていくのかが、
自分でも想像がつかなかったし、
従業員約100人の小さな会社でしたが、
組織図上、ナンバー2の職位を維持したかったのかも知れません。

末期がんなんだから、必ず近い将来退職する事になる。
それはわかっていたはずでした。

本当に会社を思うのであれば、自分が元気なうちに、
自分の代わりの人材を探してもらう選択をするべきでしたが、
ちっぽけなプライドが邪魔をして、どうしてもできませんでした。

そして、実はまだ、自分が末期がんである事を
消化できずにいる自分もそこにはいました。

しかし
そのちっぽけなプライドも
すぐに崩れ去る事になりました。

退院から数日は何事もなく過ごせていましたが、
一週間後
ちょうど休みの日に、腹部と背中がひどく痛み出したのです。

時間が経つにつれ、痛みはどんどん増していき、
しまいには、一人では歩けないくらいになってしまい、
家族の運転する車で地元の赤十字病院へ運ばれました。

病院に着き、ストレッチャーに乗せられた時には、
もう死ぬほどの痛みで、1mm体を動かすだけで激痛が走り、
ストレッチャーからCTの検査台には激痛で中々乗ることが出来ませんでした。
七転八倒しながら、何とかCT検査を受け、
診断の結果は「肝炎」でした。
新薬「オプジーボ」の
副作用でした。

そして、ここから約1か月半、
地元の赤十字病院に入院する事になったのです。